男と女とその他

履歴書やらなんやらの書類で書く「性別」の欄。あれが私は嫌いだ。

 

理由は後で書くがあれを見るともやもやする、何故どちらかしかないのかと。

生物学的な観点から言えば確かに人間は雌雄のはっきりした生物だが、見ればほぼわかるのだからわざわざ「男女」と書く必要はないだろうと。もちろんこう考えている者は私を含め少数派だろうとは思う。

そんなことを気にしたこともない人は多いだろうし、疑問にすら思うことだろう。

まぁ何故私がここまで気にするのかといえば私の過去に遡る。

 

今も変わらないところはあるが、私は幼少期から決して男らしいとは言えなかった。

むしろなよなよした内気な少年だった。

当時はまだLGBTQの考えは世間に浸透しておらず、私自身知らなかった。所謂「男の子なんだから」というフレーズは何度も耳にしたが、これがすごく嫌だった。

同年代の男の子より女の子の方が気が合ったし仲良く遊んでいた。下ネタも嫌いな当時の私は小学生男児特有の下ネタを言うあの雰囲気が大嫌いだった。

だがそれは決して自分が大人びていたとかではなく、純粋に汚いものが嫌いだっただけだ。

そして、女子と仲良くしててそういうノリにも乗らない内気な奴としていじめのターゲットになったことがあった。

靴を隠されたりからかわれたりした。変な噂を流されたのか学年ほぼ全員に避けられるなんてこともあった。思えばそんな時期によく学校に行ってたものだと過去の自分を褒めてやりたい。

まぁ多分そこまで深刻に捉えてなかったからという昔の自分の能天気さに救われていただけだとは思うが。

 

時々家で見ていたニュースにはよく痴漢やらわいせつ行為をはたらくなどして捕まる輩がいた。決まって犯人は男だ。

女性専用車両なるものが発表されたとき、「もうそういう不安を抱える人は少なくなる、よかった」と思うと同時に酷く落ち込んだ。

自分が警戒される「男」側であることをだ。

 

もちろんそんなことをしない人の方が多いのはわかる。するのはどうしようもない異端の馬鹿しかいない。だが、そんな一部の輩のせいで自分もある意味同じ枠組みでしかないのだと思うと、自分が男として生きているのが悔しくて仕方ない。

別に女性として生まれたいわけでも生きたいというわけでもないが、「どちらでもない」枠としていたかったと心底思う。

 

私は異性に対して性的関心は普通に抱く、そこは否定しない。だが、自分がその人と「男として」接したいかと聞かれれば答えはノーだ。私は自分のことを男と認識したくないし、男は怖いものだと思っているからだ。

 

うまく言葉で説明するのは難しいが、結局のところ言いたいのはもう少し世間が男と女、雄と雌、だけでない性のあり方というのを知ってくれればと思う。